落合陽一の未来ビジョン

国というソフトウェアと
ローカルの醸成

国というソフトウェアとローカルの醸成

都市と国のどちらが長い寿命を持つのだろうか? この問いを立てると多くの人々が国と即答するところを僕は見てきた。しかし、本当にそうだろうか? ちなみに僕は都市の寿命の方が長いと思っている。我々がこの日本で、江戸に都市の形態を携えて、大阪京都から越してきて早400年の月日が経とうとしているが、東京は拡大を続けている。この拡大は2035年付近まで続くのではないかという市場予測も存在する。我々の国全体の統治体制は変化していくものの都市と人が作るエコシステムは歴史と文化を育んできた。国のイデオロギーは人や考え方とテクノロジーが作りうる。江戸体制は明治政府によって否定されてきたし、明治政府は昭和以降の統治体系において一部否定的な見方をされてきた。しかし、都市はどうだろうか? 都市が内包するインフラの構造と機能、人と歴史が作る文化は綿々と受け継がれてきた。


国家単位でなく、都市が未来を考えることに意味はあるのだろうか? 1960年の丹下健三の描き出した「東京計画1960」から見た未来都市の姿は、居住と都市と産業が合体した20世紀的21世紀未来都市のテンプレを作り出したし、このビジョン懇談会で小池都知事が触れた20世紀の豫言(1901年1月2日発行≪報知新聞≫)も21世紀の未来像を示していた。都市から見たビジョンはそれが立地とインフラと文化の制約条件によって、抽象的な技術論を超えた意味を持つ。何がなし得るだろうか、というアイデアは<イデオロギーを根底に持つ>「国の未来」や地球の未来よりもはるかに具体的な意味を持つだろう。そう言った観点では、文化・歴史との具体的接続とその実行者を持つという意味で、都市のビジョンは国のビジョンよりも明確で、長い寿命を持つのかもしれない。それゆえに、未来の形を都市単位でイメージすることは大きな意味があるのだと僕は考えている。


とはいえ、もちろん冒頭の問いの設定がある種卑怯なのは承知している。国の定義と都市の定義を挿入していないから、その定義が人によってまちまちであることは間違いない。だから、都市単位・国単位、という想定がどこまで共有されているかは、わからない。しかし、ここで主張したいことは、その<まちまちの定義を持った状態の印象論>で世間は構成され、それは頻繁に間違えるということだ。<政治的イデオロギーに接続された都市の持つ自治機能>を考えると、それは<ソフトウェア的>であり、どういった政権下のどういった国の政策によって構築されるかどうかと無関係ではいられない。つまり、その時々の政策ビジョンはいかようにも変わるように見える。また国境線やインフラストラクチャー、資源、市民といったリソースである<国のハードウェア的機能>は、世界史を紐解いても、戦争や講和、占領と統合によって大きく変化してきた。我々の日本国であってもこれは例外でなく、満州や沖縄など国境線の枠組みはその度に変化してきた。ヨーロッパの諸国を見ても、アメリカを見ても、国境線や天然資源などの枠組みは時代によって異なっている。


だが、その一方その土着のリソースとその文化・歴史的連続性による観点は、イデオロギーの変化ではリセットできない、長い鎖を形成しているように見える。都市のインフラというハードウェアとしての土着リソースとソフトウェアとしての統治体制、そこに土着の文化的見地から都市論を語っていくことには再考の余地があるように思う。その意味で、東京未来ビジョン懇談会の目指したものは、今この時代に、文化と歴史とテクノロジーに接続された観点から、<東京という概念>の模索とその<未来ビジョンの探求>を行うことである。これは、国の未来や世界の未来というものがもたらすボケたイメージよりも、より具体的で文化的接続性を伴った解像感の高いイメージを結ぶだろう。人間がイメージできる、そして政治というソフトウェアのイデオロギーによってぼやかされない規模感を持っているのではないだろうか。国や憲法は変わるかもしれない、我々の人間性に関する観点もその時々によって変わりうるものであることを念頭におくことは重要だ。しかし、我々が今議論の土台として構築するために認識したものは、ローカルの価値であり、その土着的な文化のもたらす歴史の鎖は永続的なものなのかもしれない。


いつだって、歴史的な文化政策は都市レベルで起こってきたのだ。例えばイタリアレッジョエミリアの幼児教育政策は芸術的文脈に基づくプロジェクト性で表現力の高い文化を醸成してきた。オーストリア・リンツのアルスエレクトロニカおよび周辺大学に見られるようなメディアアートの勃興への注力は今世界中に見られるテクノロジー芸術表現を行うコミュニティの礎となった。パリコレクションへの理解にはパリの地力への理解が不可欠であるし、トヨタにはトヨタの、深センには深センの、ニューヨークにはニューヨークのキャラクターが存在する。そう言ったローカルから構築する価値観は世界に向けて発信されるべきだと僕は考えるし、東京には東京があるはずなのだ。ここで見える100年後は他の都市で見える100年後とは違うスタイルのはずである。


昨今の東京は、映像メディアで作られた街であると思う。日本のローカルとは大きく異なった市場と文化を持ちながら、そしてテレビメディアを用いて全国発信することで、ある種の<日本の最大公約数>を志向しながら、その実態は大きく他都市と異なっている。大学数、大使館数、美術館の数、企業の本社数などを考えても他の都市とまるで異なった都市だ。多様で産業力があり、ローカルでありながら他のローカルと一線を画す存在だ。東京と地方の距離を表向きでは否定し、議会や官僚機構はその差をあえて隠そうとする傾向にあるように見える。それは議会制民主主義と地方との距離を表しているように見える。しかしながら、我々が今行わないといけないことは、その差を自覚し、多様で多層な社会のための方策を議論することである。今ここで起こることは、日本の地方には適応できないかもしれない。しかしながら、それはそれで良いのである。東京は日本ではないし、日本は東京ではない。


例えば、クールジャパンのほとんどはジャパンではなくクールトウキョウである。地場のアイドル活動が資本主義的展開を見せるのはトウキョウだからであるし、テレビドラマに見られるような生活が見られるのはほとんどトウキョウである。それはトウキョウのテレビ局から発信されジャパンに流布はされるが、大抵の場合、東京にしかないのだ。


僕は、コンピュータと物理的なメディア装置を用いたビジネス、教育、芸術、研究活動を主軸に活動してきた。その観点から考えるなら、東京というメディア都市の志向するものは、テクノロジーと文化の接続による考え方の構築や、問題解決の手法探求なのではないかと思う。我々の東京という都市は、文化の収蔵庫とでも言えるような多くの美術館や多くの文化劇場などを持っている。もちろんライブハウスの数は足りないかもしれないし、文化やスポーツ教育における鑑賞性にはものすごく時間が少ないかもしれない。しかし、それらは改善できる。我々の時間が、工数が足りない問題はメディア技術や、テクノロジー、コンピュータサイエンスを駆使した最適化問題として捉えることができるのだ。我々が今22世紀に向けて志向しないといけないビジョンは、問題に対してテクノロジーで向かい合うマインドと、その醸成。そして、そのファーストアクションをテクノロジーとすり合わせながら決めていき、最終的な問題解決を目指すスタイルだと思う。発信装置が足りないならばインターネットやメディア環境はそれを支えてくれる。少子高齢化で人が足りないならばロボティクスや人工知能関連技術がサポートしてくれるだろう。そう言った文化・技術・コミュニティ・経済の横断的なキャッチボールを行いながら未来を志向することが我々が持つ本来の価値である。いつだって文化はローカルから生まれてきた。我々は、東京が日本を決めてきた現状とその乖離に向かい合い、政策や制度だけでなく、技術や文化を包含した解決策を模索していくことをビジョンの要にしていくべきである。少なくとも、僕は2018年今、そう考えている。